
緊急事態宣言が発令されてからガラリと生活スタイルが変わり、2ヶ月前までの自分の生活がなんとなく信じられないという気がする。
それまではとにかく仕事が忙しかった。
(“仕事が忙しい”というのは、あくまで育児と仕事を両立する私のキャパシティを超えていたというもの)
早朝に起きてメールチェック&返信、短時間でできる仕事を終わらせたら、家族の朝ごはん、掃除、洗濯をすませ、9時前には仕事に取り掛かる。娘は夕方まで保育園で過ごしてくれるので、今日やるべき仕事を終わらせるためにワァ〜と仕事をこなしていく一日。
夜は仕事をしないと決めているけれど、締め切りに追われている時は徹夜することも普通にあった。
そして「今」の生活はというと……。
保育園を登園自粛しているため、おのずと仕事はできない……というか、案件がストップして以前と比べものにならないくらい時間ができた。
それでも進行している案件はいくつかあるので、全く仕事をしないでいられるわけじゃないけれど、娘がまだ寝ている早朝や夫が娘をみてくれる時間を狙ってまとめて仕事をするだけで十分終わる仕事の量だ。
親子の時間が格段に増えたことで、小学生以来作ったことのないお菓子作りに手を出してみたり、下手な工作に没頭してみたり、娘以上に子ども時代を謳歌するような時間を過ごしている。
バービーが大好きだったあの頃、家族の誰もが遊び相手にはなってくれなかったのに、まさか母親になり娘が真の遊び相手になってくれるとは誰が予測できただろうか(笑)
しかし、親子の時間が増えたことは歓迎すべきことではあるけれど、正直楽しいだけでない。
仕事に集中して自分を保つ……みたいな時間は一切なくなったし、やるべきことが思い通りに進まないし、ストレスを感じることが以前よりも増えた。
要は「好きなことが、好きなときにできない」というストレスを味わっているのだ。
でも、この手のストレスは子育てしてたら当たり前に感じることで、今さら辛いということでもないな……とか色々考えていたら、不思議なことに今の生活にすっかり順応してしまい、気づけば“ポジティブな諦め”に身をひたしていたのだ。
できなくなったことよりも、「今できることをやればいいよね」。この先の不安はもちろんあるけれど、もうなるようにしかならないから、「今やれることをやるしかないじゃん」……と。
仕事だってこれ以上減ったらどうしようとか、保育園自粛が今後も続いたら仕事はどうするの?とか、問題点を掘り起こしたらキリがない。
もちろん問題から目を背けているわけはないけれど、こうなったらもう柔軟に対応していくしかないし、自分がどうしたいか、何ができるかを考えるしかない。
だって、コロナが終息した後のアフターコロナの世界はきっとこれまでの社会とはガラリと変わるだろうし、もうそれ以前の空気感では生きられなくなるんだろうと思うから。
その思いは、母親になってからの私自身が求めていた、前向きな諦めのもと、“足るを知る”生き方に近いのかなとも思うのだ。
足りない部分に目を向けるだけでは惨めな気持ちになるだけ。だからこそ、マイナスの状況を自分の手でいかにプラスなり0に戻す作業をするのかが、今こそ大切なことなのかもしれない。
そんな風にあえて自分を奮い立たせて、今日も明日も明後日もこの状況を受け入れ、小さな幸せを見つけて心をホクホクさせながら、なんとか生き長らえていくしかないと思う今日この頃なのだ。
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